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NPO法人はーとはうす 創業ストーリー
「お母さんは最後でいいから、お客さんを優先して。」
──その言葉が、今も消えない。
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2026年現在。
119年続く理髪店の四代目として。
長年ユニセックスサロンで修業を積み、
23歳で店長となる。
それでもまだ、「技」を追求したかった。
自己研鑽・技術向上という思いから大手美容室へ入社し、
様々な研修を重ね技術を磨くも──
突如、別業種へ転職し別の道へ
そこでサービス業の真髄を知り、探求心が開花。
情熱を注ぐ日々が続いた。
その業界にも慣れ、様々な貴重な経験を積んでいた。
とても刺激的な素晴らし毎日だった。
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《 二つの原点 》
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■ 原点① 中学時代の衝撃
そんな中、あの頃のあの記憶を思い出す。
突然、中学の頃の記憶がふっとよみがえる…。鮮明に。
《家族会議》
両親は私を含めた兄弟はもちろんのこと、親戚とも何度も話し合っていたようだった。
そして父方の祖母が、認知症悪化のため特別養護老人ホームへ入所することになった。
その三か月後、家族みんなで面会へ。
中学の野球部で何かと忙しかった私は、入所以来初の面会だった。
実はおばあちゃん子だった私は少し気恥しい。
待ちに待ったおばあちゃんとの久しぶりの面会
しかしおばあちゃんが登場した次の瞬間──
そんな気持ちは一気に吹き飛ぶこととなる。
おしゃれだったパーマヘアのおばあちゃんが、
入所後に依頼したヘアカットサービスによって
角刈りに。いや雑な角刈りに「変身」していた。
もはやおばあちゃんではなかった。
おばあちゃんの顔をした、おじいちゃんだったのかもしれない。
誰も文句を言わない。いや、言えない。
当時は本当にそんな雰囲気だった。どうしようもない絶望感。
そんな状況なのに、おばあちゃんはいつも通りのニコニコ笑顔。
果たして自分の髪型を、今の状況を、分かっているのだろうか?
「おばあちゃん。そんなんでいいのかよ!しっかりしろよ!」
そんな心の声は聞こえるはずもなく、
やっぱりおばあちゃんはいつも通りの穏やかな笑顔だった。
孫の私には、それがなにより残酷な違和感として、
強く脳と心に刻まれた。
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《 決意 》
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そんな記憶が急にあふれ出す。
成長した今の俺がもしあの頃に戻れたら、
あの状況を変えられたんじゃないだろうか?
おばあちゃんと家族の笑顔をつくれたのではないだろうか?
少なくとも悲しい気持ちにはさせなかったはずだ!
そう確信した私は
昨今の施設でのヘアケア事情ってどうなんだ?
変わったのか?良くなったのか?
まさかまだ誰かがまだ悲しんでいるのか?
いくつもの疑問が湧き上がる。
そしてネットはもちろん、友人・知人、あらゆる手段で自分なりに調べた。
その結果──今も(2008年頃)ほとんど変わっていない。そんな印象だった。
それなら、今だ!
今しかない! 俺しかいない!
ブランクがある中、独立を決心し再び理美容業界へ。
当時まだ認知度の低い訪問理美容で個人事業主として起業。
その一年後の2009年(平成21年)に、
特定非営利活動法人 Heart House(はーとはうす)を設立。
認知症の方の対応に苦慮した経験から
訪問理美容を行いながら夜勤で
5年間グループホームに勤務し介護福祉士を取得。
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■ 原点② 母との、最後の時間
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そしてもう一つ、今も忘れられない記憶がある。
予備知識として私の母は53歳で脳梗塞を発症した。
そこから父は16年間──
何度もの脳梗塞・心筋梗塞・転倒による骨折・救急搬送──
すべてを乗り越えながら、母を介護し続けた。
晩年は癌が見つかりリンパに転移しており余命宣告6か月。
しかし母は、そこから3年間生き伸びた。
母曰く「死ぬ死ぬ詐欺」といっていたのが懐かしい。
その間、私は何度も「今回が最後かもしれない」
と思いながら、母のカットやカラーをしていた。
紫やピンクに染めて、前髪を短めにカットして、一緒に笑って。
そしてある時「またそろそろ頭、やってほしいな」と言われた。
いつもまぁすぐにやっていた。
ところが──その時に限って、私は忙しさに油断した。
「ごめん、最近忙しいから後でいい?」
すると母は、こう言った。
「いいよいいよ。お母さんは最後でいいから」
さしてその言葉に油断した。
その数日後、母は緊急入院。
まさかね。
「また退院したらやってあげよう」
そう。そのまさかがここで起きてしまう。
母はそのまま退院することなく、69歳で逝った。
あの時、すぐにやってあげていれば──。
「お母さんは最後でいいから」という言葉が、
今も心から離れることがない。
「最後って!」
「だったら最高にかっこよくかわいくしてあげたかったよ」
ごめんという気持ち、くやしさ、情けなさ、寂しさ、後悔
「なんでだよ!」
しばらくの間、様々な感情が複雑に絡み合い心の整理がつかなかった。
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《 想いを込めて 》
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おばあちゃんへの衝撃
が原点となり
お母さんへの後悔がそれを加速させることに。
「いつも・いつまでも・きれいでいたい」
その想いに応えられる人を、一人でも多く育て。
私の様な思いを、後悔をしてしまう方をなくす。
それがはーとはうすの役割です。
より高いレベルの「介護と理容と美容の融合」
こんな想いで毎日奮闘しております。
私たちはーとはうすの応援をよろしくお願いします。
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NPO法人はーとはうす|
千葉県佐倉市|設立2009年9月
TEL:090-2678-0244